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お役立ちコラム

2019.06.21

人生で一番後悔することは何ですか? 

後の祭りとはよく言いいますが、人は過去を振り返って後悔することが多いのではないでしょうか。

すべての出来事は理由があって起こり、後悔をすることに意味はないという信条を持った人たちもいます。

私の身近にも一人います。伯母です。
私がその問いかけをしたのは、おそらく10年ぐらい前、彼女が60歳ぐらい、私が30歳ぐらいの時だったと思います。人生80年と言われる中、私が折り返し地点の40歳を見据え、彼女にした質問です。

「人生の後悔はなに?」

彼女はこう答えました。「後悔なんてしたことがない、やりたいことが一杯で後悔している暇がなかったから」と。

後悔しないために何をすればいいのかではなく、視野を広げ興味や知見を広げれば、自然とやりたいことが溢れてくる、後ろを振り返らなければ、後悔をすることもないのだと、身近にそう教えてくれる人がいました。

しかし、凡人の私は人生を振り返ると、「あの時もっと違う行動をしておけば……」と、過去を引きずることが多くあります。「もし……」という収まらない疑問が、頭の中で繰り返し浮かんでくる・・・。

どれだけ幸せであろうと、私ぐらいの年齢になれば後悔は数え切れないほどあります。

同じくそのころ読んだ本 ヴォーン・ベル氏の”Mind Hacks”(「運動」 「推論」「記憶」、さらに実生活に必要な「他者との関係」まで、自分の頭の なかでは何が起こっているのかを知りたい方、心の成り立ちを知り、その知識を仕事に役立てたい方におすすめの本です)には、人生の後悔には2通りあると書かれていました。やらなければよかったと思うことと、やっておけばよかったと思うこと。

この2つの違いは、基本的に心理的なものです。なぜなら、同じ後悔をいずれかの方法で表現できるからです。

例えば、会社を退職した時の後悔を以下の2通りで表すことができます。
行動を起こしたことを後悔する場合は『会社を辞めなければよかった』、また行動を起こさなかった場合は『誰かに相談をして、もう少し頑張ってみればよかった』。どちらも実質的には同じことなのですが、行動を起こしたことに対する後悔の念は、行動を起こさなかったことに対する後悔よりも一般的で、より強いものです。
しかし、行動を起こさなかったことに対する後悔の念は、長く続く傾向にあります。

だからこそ人は、「当たって砕けろ」と言うのです。

人の後悔の典型的な事柄は、恋愛、家族、教育、キャリア、お金、子育て、健康、友人関係・・・そんなところでしょうか。

恋愛

「叶わない片想いをダラダラと続けて時間を無駄にしてしまった」「異常なくらい嫉妬深くなってしまった」「彼氏が好きすぎて束縛してしまった」「本当はすごく愛していたのに、しがらみから諦めてしまった」など、様々な理由から「あぁしておけばよかった」「こうしておけばよかった」と後悔することがあるでしょう。

しかし、人生において経験したことはすべて無駄ではないはずです。

逆に、キャリアにほとんどの時間を注ぎ、恋愛に比重を置いてこなかった、恋愛をしてこなかったことに後悔する人もいるのでしょう。そんな人も、あのとき自分のすべてを費やせたこと、その時の情熱を思い出してください。

きっと後悔の念は軽くなるはずです。

最近、息子がよく歌っている歌があります。この年だからこそその歌詞が無性に理解できます。

まちがいさがし♬ 菅田将暉

まちがいさがしの間違いの方に
生まれてきたような気でいたけど

まちがいさがしの正解の方じゃ
きっと出会えなかったと思う

ふさわしく 笑いあえること
何故だろうか 涙がでること

(省略)

間違いだらけの 些細な隙間で
くだらない話を 
くたばるまで
正しくありたい あれない 寂しさが

何を育んだでしょう
(省略)

間違いか正解かだなんてどうでもよかった
瞬く間に落っこちた 淡い靄の中で
君じゃなきゃいけないと ただ強く思うだけ

間違った方法でしか出会えなかった、それを「後悔」しているのではなく、そうでしか出会えなかった恋愛を、懸命に肯定する歌です。

いずれにしても、「後悔」できるほど人を好きになれたこと、懸命にその時を生きれたことを幸せだったと想えるようになれるといいですね。

家族 ~ 子供 

前にも言ったように、「後悔」してしまうほど、大切な存在だからこそ、私たちは後悔し、悩み、嘆くのです。

そして身近で信頼し、変わることの無い深く無償の愛情を感じているからこそ、剥き出しの感情でぶつかることができるのです。

「言い過ぎてしまった」 親も子供もそう後悔をすることは様々な場面であるでしょう。

親も子供も、いづれどの立場も理解できるようになるのです。そして後悔していることがあったとしても、振り返ってみれば、その価値観や思考、常識すべてが何らかの形で流転しているのです。

内田裕也さんが亡くなった際に読まれた、一人娘 也哉子さんの弔辞を一部ご紹介します。

私は正直、父をあまりよく知りません。「わかりえない」という言葉の方が正確かもしれません。
率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと、実感のない父と娘の物語が、はじまりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。(省略)

父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には、到底、おさまりきらなかった内田裕也という人間が叫び、交わり、噛みつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を、皆さんは確かに感じ取っていた。「これ以上、お前は何が知りたいんだ」 きっと、父もそう言うでしょう…。(省略)

私という二人の証がここに立ち、また二人の遺伝子は次の時代へと流転していく…。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなか面白いものです!私は、この文章を読んだとき、その文才にも感銘を覚えましたが、文章の内容に魂が震えたような感覚になりました。どんな環境においても、誰かを言い訳にすることをせず、真正面から受け止め、その思いをこんな素晴らしい文章にできる、そこに至るまでにどんな葛藤に向き合ってきたのかと・・・。そしてこの素晴らしい文章から、正しいことを示すこと、教えることだけがすべてではないのです。

「交感の真実」 そこから何を感じ、知り・・・それが反面教師でも、次の世代へ流転し、形成される。本当に自然の摂理に包まれたカオスを考えれば、「後悔すること」すら馬鹿らしく感じるのは、私だけでしょうか。

教育

「教育」は自分のための投資です。

私は「努力」とも言い換えられると、息子に教えています。

私も子供の頃、よく思っていました。これが将来何のためになるの?と。

しかし、人生において学識を広めること、知見を広げること、それはすべての可能性を広げることです。
学歴だけが重要だとは全く思いません。社会はどう頑張っても一人では生きていけません。人とのかかわり無しで、人の営みは成り立たないのです。だからこそすべては「人格形成」が一番大事だと思います。

しかし、この「人格形成」にもやはり教育が必須なのです。

例えば、一冊の本を読みます。そこから何を感じ何を学ぶか、それは自身が受けてきた教育がその解釈を左右します。
社会で何か大きな壁に直面しました、乗り越えました、そこから何を学び経験として積み重ねることができるのか、それも自身の受けてきた教育さらには人格によって、大にも小にもなると思います。

教育=学歴 ではありません。

しかし人が後悔することは、おおむね「学歴」です。
それは現在の日本において、悲しいかなほとんどの場合、学歴社会であるからです。

一生懸命生きてきた、それなら学歴ではなくしっかりとそこには「生きてきた」ことから得た「人格・自分」があります。
しかし、ただ楽な方へ流れてきただけの結果であれば、「教育」への投資を怠った(努力を怠った)ことへ後悔は尽きないでしょう。「人格・自分」が無ければ、やはりその学歴社会に身を置く以上、それを後悔してしまうのです。

知らなかったことを知る喜びは、人を豊かにし未来をつくります。

もしあなたが後悔しているのなら、遅くはありません。あなたの人生を豊かにできる何かを見つけ、今から「学び」を始めればいいのです。

「後悔」してますか?

それが気づきの第一歩です!

友人関係

友人・・・・学友、メル友、ママ友 様々な友人関係があります。

先にも言ったように、人の営みは決して一人では行えません。そしてあなたを作り出しているのは、多くは人からの影響によるものです。

幼少期であれば両親から、少年から成人までは、先生や友人から多くを学び影響され、共感することによりあなた自身を形成してきたことでしょう。

その中でも、「親友」と思える存在があなたには居ますか?

私は、20代の時、2度にわたりたった一人で異国の地で生活してことがあります。

目の前のことで毎日が一杯いっぱいでした。しかし何か素晴らしく感動したり、嬉しいことがあるとき、それを共有できる人が近くにいないことが、何よりもつらかったことを思い出します。

人は美しいものを見たとき、感動したとき、自分だけで独り占めできたことに優越感を感じないことを初めて知りました。

大切な人、その当時は「親友」とその感動を共有したいと強く感じたものです。

多くの人(死にゆく人)は、死と直面するまで、親友の恩恵を本当の意味で理解しません。そして、彼らを探し出すことは常に可能ではないのです。多くの人は生活で忙しくなり、よき友人関係をないがしろにしてしまいます。努力に値する友人関係に、時間を割かなかったことに対する深い後悔は多くあります。

あなたの良き時代、そして苦しい時代は、あなただけの中にあるわけではありません。親友と共有した時間は、共有したからこそ得られた、何にも代えられない時間になっているはずです。

友人関係に「後悔」をしていることがありますか?

きっと、あなたが親友と思える人なら、同じように「後悔」をしているはずです。

「げんき?」その3文字を言葉にしてみましょう。

身体の健康

「多くの人は健康が自由を与えてくれることを、失うまで気づきません」

何をするにでも、身体の健康が無くては、人生を楽しく過ごせません。不健康はあなたの自由を奪うものです。

昨年度、創刊された雑誌の記事に60代が人生を後悔する10個の事柄が書かれていました。
その中で、歯のメンテナンスをきちんとしておけばよかったと多くの方が後悔していると記されていました。

厚生労働省によると60歳で残っている歯は平均20本を下回っているそうです。(歯は全部で28本、親知らずまで入れると32本)。

もちろん歯周病だけでなく放置した虫歯なども失う原因となっています。

さぁ、なくなってしまった歯をどうしよう!?
「時間ができてから」と思って60代になってから、放置して歯がなくなった部分はどうしたらいいのか・・・・。

一般的には「ブリッジ」「入れ歯」「インプラント」の3つの方法があります。

歯科衛生士の皆さんであれば、ご存知の通りブリッジでも保険でできる部位は細かく決められていて、治療費が高額になる場合もあります。自分の歯を削らなければならないというデメリットも合わせれば、やはり自分の歯に勝るものはありません。

また入れ歯は保険の適用もありますが、なにしろ違和感が強く馴染むまで時間がかかるのが難点。食事のたびに外して洗ったり、不具合があると調整が必要になるなど、日常生活に支障を感じることが多いでしょう。

インプラントは、は保険がききません。
一般的には1本あたり20~40万円程度が相場です。

いったん定着すると自分の歯のように噛むことができますが、手術にはさまざまな制約があります。老後を迎えた60代の時期に、高額な治療費の負担がかかり、やはり後悔をする方が多いようです。

歯医者で入れ歯を薦められて仕方ないと諦める人や「お金はいくらかかってもいいからインプラントしてくれ」と言う人もいるようですが、いずれにしてもなくなってしまったものを補填するにはかなりの労力が必要だということは確かですね。

後悔している人の意見としては、

「食べ物が美味しく食べられなくなった」「硬くて食べられないものが増えた」「活舌が悪くなり、おしゃべりも歌も楽しめなくなった」「口元が老けて、出かけるのが嫌になった」など。

「生きることは、食べること」前回のコラムでも書かせていただきましたね。
生きるためだけではなく、第二の人生を楽しむためにも、「歯の健康」は重要だと後悔している方が多いようです。

また、最近の研究で、歯科領域の病気と全身の病気は強くリンクしていることがわかってきました。とくに歯周病や根管感染では細菌が全身に回って、糖尿病などの全身病になりやすくなります。

さらに今年の2019年1月23日には、米ルイビル大学のヤン・ポテンパ博士らの研究チームは、オープンアクセスジャーナル「サイエンス・アドバンシーズ」において、「慢性歯周炎の原因細菌であるポルフィロモナス・ジンジバリス菌がアルツハイマー病患者の脳内で確認された」との研究論文を公開しました。

これにより、歯周炎の原因菌を阻害することで、「アミロイドβ」の産生を妨げ、神経炎症を抑制し、海馬の神経細胞を守るといった新しい治療法への道をひらく第一歩としても期待が寄せられています。

お金で買えない「自分の歯」、そして定期的に歯のメンテナンスをすることにより、第二の人生を豊かに、楽しく過ごすことができるのです。

決めるのは自分自身

今回のコラム「人生で後悔することは何ですか」。

様々な事柄について書かせていただきました。しかし最後に、後悔なのか経験なのか、決めるのはすべてあなたの価値観です。

他人の期待に応えようと頑張る必要はありません。

極端に言えば、全世界で自分以上に愛情を注ぐ価値のある人間などいません。もっとそのことを自分に言い聞かせるてください。

そのあなたの幸せの価値が、誰かの喜びや幸せならば、それもあなたの選択です。

 

恋愛、教育、健康、さらにはあなたのキャリアにおいて、「後悔」のない選択を、応援しています。

あなたの「後悔」しないキャリアのお手伝いは、Soraナビにご相談ください。